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パブロ・アイマール を語る③

1997年 アイマールはU-20アルゼンチン代表として大きな功績を残しました。

南米ユース選手権を制覇し、FIFAワールドユース選手権を優勝します。

まさに最強。

アイマールのチームメイトにはそうそうたるメンバーが名を連ねます。

 

クラブではライバルチームのボカ・ジュニアーズ所属のファン・ロマン・リケルメ。

その天才的なパス、相手に取られないボールキープ力はあのジダンと同等と評されました。彼もまたマラドーナの再来と言われる才能を持ち、アイマールとのコンビネーションは相手チームにとって脅威でしかありませんでした。

同じくボカ・ジュニアーズに所属していたワルター・サムエル。

10代ですでに世界最高のDFとうたわれる屈強さとチームの統率力、左足の正確さを兼ね備えていました。のちにローマというビッグクラブに渡り、中田英寿選手とも共闘。スクデット獲得に貢献しています。

 

そして、15歳からレアルマドリードに所属し、最高のボランチとして君臨した

エステバン・カンビアッソ。

後に世界有数のビッグクラブへはばたいてく逸材ばかり…

 

注目すべき点は、マラドーナと比較されている選手が2名もいたという事実ですね。

南米特有の狭いスペースを搔い潜るサッカーに、2人のファンタジスタが織りなす

時間と空間を支配、コントロールするゲームメイク。

相手チームが混乱する一方、観客を熱狂させるサッカーを作り出していきました。

その中心に居たのは間違いなく、パブロ・アイマールだったのです。