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パブロ・アイマール を語る④

母国のアルゼンチンや世界大会で結果を出したアイマール。

その価値はスペインのビッグクラブ、バレンシアの目に止まり

2001年の年越しと同時に移籍が決まります。

 

世界中から屈強な男たちが集まるリーグで、小柄なアイマールは活躍ができるのか

疑いの目を向けられていました。

払拭させたのは彼の人柄と、サッカーに向き合う姿勢でした。

彼はテクニックに優れ、ドリブルやパスは群を抜いています。

練習で発揮される確かな技術は、味方選手ばかりか目の肥えたファンやメディアを驚かせるものでした。

 

背番号は21番。

アイマール自身は10番タイプですが、エースナンバーをつけることにこだわっていませんでした。

一説には、スペイン代表だったルイス・エンリケ氏がつけていた21番から由来しているともされています。

数年後、21番=アイマールと言われるほど、その偉大な価値を証明していくことになります。

当時監督だったラファエル・ベニテスにより、バレンシアのシステムにはトップ下にポジションはありませんでした。

天性のゲームメイカーであるアイマールはトップ下にポジションがなかったのです。

次第にバレンシアのサッカーは相手チームに研究され、結果がついてこなくなりました。

 

この状況にアイマールは自ら動きます。

「サイドではなく、トップ下で仕事をさせてほしい。」と監督に直訴したのです。

システムを変更するのは必ずしも成果はでません。しかし、攻撃的な戦術として加え、システムを増やす選択をしたことが功を奏します。

 

水を得た魚。と言えばアイマールがやりやすくなったように聞こえるでしょうが

チームとしてバレンシアは恐ろしいと思うほど相乗効果を生みます。

私の主観ですが、どう変化したのか…

 

FWのカリューはボールホルダーと空中戦の役割を担い、素早さとボールコントロールに長けたフアン・サンチェスとのトライアングルはアイマールを中心にスピードと攻撃バリエーションを作り上げました。特にサイドからの攻撃はお家芸のように安定しており、右サイドにはベッカムに匹敵するクロッサーと言われたメンディエタ、左サイドには縦への突破が持ち味で闘争心も備えるキリ・ゴンザレス。その5人をアンカーで支えるのがルベン・バラハでした。的確なポジションでボール奪取、攻撃のスイッチを切らないようハードワークを惜しまず、勝利と言う結果とともにバラハ自身も急成長を遂げるのです。4バックのディフェンスリーダー、ロベルト・アジャラは守備固め、堅守は得意中の得意。また攻撃へシフトするため、ディフェンスラインの統率力も発揮。アルゼンチン代表の相棒で、当たり負けせず、スマートさを兼ね備えたペジェグリーノとの連携から、攻撃の起点をディフェンスからも作りだすハンターのようなディフェンスを成立させていきます。左サイドバックのカルボー二はスタミナの宝庫でカバーリングやここぞのタイミングでオーバーラップしてチャンスを演出。右サイドバックは大舞台での経験が豊富なアングロマ。流動的な役割と鋭い感性と安定した守備でリスクマネジメントしていきます。

とても短い期間で、それぞれの選手の感性がパズルのピースを合わせるようにはまりました。

バレンシアの攻撃は創造性があり、成熟するにつれ美しいパスサッカーを展開するようになりました。2点以内で勝つ試合が多かったのもディフェンスの強さがあってこそではないでしょうか。

対戦相手はバレンシアを巨星として認知するようになりました。